マネジメントメッセージ

マネジメント・メッセージ 2025年2月(3/3)

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あの日、あの時間、大阪でも強い地震。
震源地が神戸であったことを配慮していただいて、会社を早退。神戸に向かった。
借りた原チャで下道を急ぐ。

視界にはいつもの日常。
武庫川を越えて西宮市に入ると、あたりは一変した。一階が二階に押しつぶされた家屋。

アスファルトが互い違いになって隆起した道路。
実家に着くと、じぶんの単車を駆って吉岡興業の様子を見に行った。
大渋滞の国道、沿道ではビルが燃えていた。
二日ほど実家に滞在して、大阪に戻った。
大阪で働いたあと、買い出しをして電車に乗り、西宮北口でおりて、そこから一時間半ほど歩いて実家に通った。
翌朝はまた西宮北口まで歩いて大阪の会社に出社。
平日は、そんな日々をしばらく送った。
大阪は普通の日常のまんま。パチンコ屋さんも普通に開いていた。

西宮以西は電気、ガス、水道もとまったまま。被災地だけ捨て置かれているようで、その違和感に言葉をうしなっていた。
当事者でなければ当事者ではないのだ。
いま大病を患っていないひとには、いま大病を患っているひとの心のひだなど分からないのだ。
おなじように、震災で亡くなった方々の無念や痛みや焦燥や恐怖や悲しみ、絶望、失望は、いま生きているわたしには、きっと分からないのだ。
わたしにできることは最早、共感ではなく、忘れないことだ。
震災から30年。
わたしに求められる祈りとは、意地でも忘れないこと、のみなのである。