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大きな時間軸でみると、時を経て森羅万象はただ、生まれては朽ちていく。
それが自然界、宇宙のながれというものだ。
私たちはこの自然界に、「命」というものを得て存在している。
この「命」もまた、生まれては朽ちていく。
しかし「命」は、ちいさな時間軸でみると、生まれては朽ちていく自然界のながれのなかで、ちいさな反逆を繰り返している。
たとえばひとも、たとえば樹木も、少々の怪我ならばやがては治癒する。
死んだひとや、枯れきってしまった樹木には、そのような治癒力はない。
だから、「命」を得た存在は「命」あるかぎり、自然界のながれのなかで、ちいさな反逆を繰り返していると言えるのである。
生きとし生けるものは絶対に死ぬ。
その絶対に対して、私たちはちいさな反逆を繰り返す。
それは無駄なことなのか?
そこに、この「命」を使っていくことは、果たして無意味なことなのか?
もし無意味なことなのだとしら、地球上にひとが現れて以来、のべ一千八十億人にものぼるひとびとは、歴史のどこかでその反逆をやめていたに違いない。
意味や意義があるから、「命」を得た私たちは、ちいさな反逆を繰り返してきたのだ。
「命」あるかぎり、私たちは「命」を使って、この自然界、宇宙のながれに反逆する《反逆の徒》なのだ。
百年後、私たちの会社は跡形もなくなくなっているかも知れない。
しかし会社は、未来永劫事業を継続していくことを志し、不景気や大災害に抵抗、反逆することをやめない。
それが「命」を得た者の「命」の使い方であり、《反逆の徒》である私たちの、そう、「使命」なのだと確信する。