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人生の良し悪しとは、結局、そのひとの最期が、一般的にみて良い状態であったかどうかがそれを物語る、というような死生観を公言していたこともあったが、50を過ぎて、そんな夢みたいな魔法の鍵みたいなことを思わなくなった。
人生の最期がどうであろうと、立派なひとは立派だったからだ。
ではどんな人生の最期を迎えたいかを列記してみたい。
みじめで、且つ、自分が思っているほどそれが何の役にも立たなかろうと、力を出し惜しんでいない。
誤解されようと、その釈明に忙殺されるくらいなら釈明せずに全力疾走している。
老人ホームで機嫌の悪い若い職員にいじめられようと、そういう部分が自分にもあると受け入れている。
もう体も動かなくて人様に助けてもらわなければ生きることができない状態でも、立派な人をみたら、「自分もこうなりたい。ああなりたい。ひょっとしたら自分にもあんな立派な部分があるかも」と思えている。つまり、他者が現時点で自分のこの状況をどう批評していようと、まるで諦めていない。
以上、こんな人生の最期を迎えられたら良いと考えている。