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この世の中の、この人生の真実とは、きれいごとでもなんでもなく、「自分が中心ではなく、他者こそが中心である」ということだ。
私たちは、他者のために存在している。これが自然界の流れだ。
だから自分中心だと、自然界の流れに反しているということになる。
下流から上流へ、川の流れに反して舟を漕いでいくのはしんどい。
この世の中、人生を力強く生き抜いていきたいのであれば、自然界の流れにちゃんと乗って、自分中心ではなく、他者中心に生きていけば良い。
以上は、陳腐きわまりない、きれいごとに聞こえるかもしれない。
しかし、この「自分が中心ではなく、他者こそが中心である」という真実は、精神論的妄想ではなく、フィジカルな現実だ。
それは、以下の発言をしたときの体の状態を調べれば誰にでも体感できる。
下記のA、もしくはBを発言したとき、誰かに横からあなたの肩を揺らしてもらえば、自然界の流れというものが、「自分が中心ではなく、他者こそが中心である」という真実にあることを体感できる。
AよりBの発言時のほうが、あなたの体がしっかりとしていることを、あなたも、あなたの肩を揺らすひとも感じ取れるはずだ。
A「俺はきみに何回同じことを言った?」
B「きみはいつになったら分かってくれるんだ?」
このAとBの違いは、Aが「俺は~」という自分主語の発言であるのに対して、Bは「きみは~」という他者主語の発言である点だ。
Aを言った後に横からあなたの肩を揺らしてもらい、次にBを言った後にも同じように肩を揺らしてもらってほしい。
明らかに、Bの他者主語での発言の後のほうが、肩を揺らされた時、体がしっかりとしていることがわかるはずだ。
これによって、この自然界の流れというものが、「自分が中心ではなく、他者こそが中心である」という真実にあることを、あなたも、あなたの肩を揺らすひとも、フィジカルな現実として感じ取れるはずだ。