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着ているだけで恥ずかしいTシャツを着てしまってはいないか。
そのTシャツは、ピチピチの黄色いTシャツだ。
お洒落でもなんでもない、このピチピチの黄色いTシャツを、私たち凡人はときどき着てしまう。
背中には、「出来れば努力したくない」と、下手うまでもない下手くそな赤い字で、でっかく書いてある。
胸には、「ハードルは下げる」と、これまた下手くそな赤い字で、でっかく書いてある。
なんとまあ、実に恥ずかしいTシャツなのである。
しかし不思議なことに、このピチピチの黄色いTシャツを着ている当の本人は、「恥ずかしい」とは全く思っていない。
それを見た他人は、見ているだけで恥ずかしいやら、「なんで大人にもなってそんなTシャツ着るの?」と苛立ちすら覚えるのに。
当の本人は「恥ずかしい」と思わないどころか、「そんなこと言われたくないですよ。おとといは、僕だっていいシャツ着てたじゃないですか」と、おとといのことを引き合いに出して言い訳する始末なのである。
私たち凡人は、ときどきこのピチピチの黄色いTシャツを着てしまう。
過去まで持ち出して、じぶんを肯定しようと言い訳に躍起になる。
言い訳は、過去と未来を分断してしまう。
過去は現在の最前線であり、とても重要なものなのだが、過去と未来を繋ぐ現在を受け入れないようでは、過去と未来は分断されてしまう。未来に続いていかない過去に、意味はない。
このピチピチの黄色いTシャツを着ないためには、現在を無条件で受け入れるしか方法はない。
「やってやる!」でも、「やらせていただきます」でもいいから、現在を無条件で受け入れ、それに取り組む以外、方法はないのである。
無条件で受け入れて取り組むなんてたいへんだから、このピチピチの黄色いTシャツをずっと着ているほうが楽だと思うひともいるだろう。
それは各人の生き方の問題だから、他人に口出し出来ることではない。
しかしながら、そういう生き方を選択したひとには、今現在及び近い未来において、きわめて現実的な幾つかのことを諦めて貰わなければならない。
それらを諦めもせずに、現在を受け入れず、過去と未来を分断するようなことをしているようでは、たとえ凡人の私がゆるしたとしても、自然界の摂理がゆるさないだろう。