教育訓練レポート

教育訓練レポート『日本製スポーツカー開発に関する仕事』(矢野 由里香)

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昭和35年当時、日本車はハイウェィで走るとすぐ故障し、デザインも陳腐でアメリカの市場では全く売れず在庫の山でした。当時日本では大衆車が主流でしたが、〝手頃な価格で高性能なスポーツカーを作れば売れる″と開発を始めました。開発に集められたのはゴーカートのデザイナーや特殊車両専門の設計者達で、彼らはいつかは自分達も花形の車を作りたいと思っていました。主流部署から外されていても、腐らず、技術を磨き続けていた事で、世界的評価を獲得するスポーツカーを開発する事が出来たのです。